さて今回の担当させていただきます、そーです。まずは簡単に自己紹介から。
やってること:制作、会計など
好きな食べ物:魚全般
好きなこと:考えること、散歩
これでだいたい私がどんな人間か分かりましたね。
そんな私がブログリレーに寄稿することになったのは、圧倒的権力にして高校の頃から関わりのある先輩であり姉的な存在、ミナさんが書こうって言ったからです。
圧倒的権力なので。(パワハラみたいですね笑)(パワハラとかではないですよ)
いかがでしたか?
これであなたもそーマスター⭐️
次回は演じてよし、演出よし、運営よしのなんでもできちゃう圧倒的カリスマ、しゅんが書いてくれます。
楽しみですね! それでは!!🍊🍊🍊
嘘です。
さすがに短すぎますね。
私が文章を書くと、ついつい固くて面白みがなくなってしまうので、なけなしのユーモアを発揮しました。ほら面白い。ね?
え? 笑ってない?
そんなことは無いです。
嘘だと思うならさっきお渡ししたミカンをくし切りにして、弧の方を下にし、口の形にそって横向きで入れてみましょう。
そして鏡を見てみましょう。
ね? にっこり。
さてここからが本題です。
あんまり楽しい話ではないですがお付き合いください。
ブログリレーっていっても個人的なことだと何も書くことがないんですね。
せっかく劇団のブログを使って書くわけですから、劇団の中で私にしかできない話ということで、ここでは制作というものについて書こうと思います。
そんなわけでこのタイトルです。
さあ、どういう意味なんでしょうね?
まず「制作」という言葉を聞いて何を思い浮かべますか? 結構クリエイティブなイメージがあったり、逆に事務的なイメージがあったり、全くイメージがなかったり、いろいろあるのではないでしょうか。言ってしまえば全部正解だと思います。
思うに、制作というのはブルー・オーシャン戦略的な役職なのではないでしょうか。元々の意味は競争相手が少ないところを狙って事業展開するというものですが、制作の仕事はそれに近いものになっているように思います。
具体的な話をしますね。
芝居や演出といった競争相手(=役職として確立されているもの)がたくさんいる仕事はせず、そうした仕事や取り組みの隙間に落ちてしまうような細々としたことをこなしていく。誰がやってもいい仕事を拾っていく。
高校数学を覚えている方なら、「役職たちの補集合を担う」といえばわかりやすいでしょうか。これが私にとっての「制作」です。
そうした意味で、制作とはなんでもありで、クリエイティブだったり事務的だったりすると同時に、何をしているのかよく分からない(制作を務めていてもよく分からない)ふわふわした存在なのです。
そのため、制作の仕事というのは劇団の構造に依存します。やることが意識下に捉えられ、可視化され、役職が増えれば増えるほど制作は何もしなくてよくなっていきます。
極端な話、制作が受け持つ全ての仕事に名前をつけて役職化すれば自動的に制作は消えます。すると、制作は新しく仕事を作り出していきます。
なくてもどうにかなるけど、あったらいいもの。そういう領域を担うようになります。それもやがて役職化されると新たな領域を探します。
劇団の絶え間ない変化とともに制作も変化していくのです。ふわふわ。
ここまでが制作の実務的なお話でした。内容としてはほとんど終わりです。
ここで締める前に、制作をやってみて感じたものを少し綴っておこうと思います。
ここからは抽象度高めです。ふわふわ。
制作を務めるにあたって、常に問い続けたのは「制作とは」というテーマでした。これは先にまとめた実務的なところもそうですし、メタレベルで捉えた制作のコンセプト、独自性、特徴というものも含みます。
そこでわかったのは、「(少なくとも青うさぎにおいては)制作とは唯一、非クリエイティブな存在である」ということです。演目に寄り添っているようでいて、クリエイティビティという点では演目から距離がある。
制作とは絶妙な立ち位置です。ふわふわ。
クリエイティビティに乏しくとも演目に関わることができるというのはひとつの、制作ならではのポイントだと思います。そのありようを楽しめるのであれば制作というのはとても面白い役職だと思います。
しかしクリエイティビティがある人が制作をやってはいけないという意味ではありません。あくまで制作は自由な役職です。やるべきことを成せば、あとは自身の裁量でその領域を拡張しうるのです。
ここでまとめたのは青うさぎにおける、私にとっての「制作」像に過ぎません。
劇団によって、演目によって、個人によって、「制作」の像は揺らぎますし、たぶん実像は見えません。タイトルは語呂で無理やりつけたものですが、奇しくも「ポリシーたち」という表現は諸思想・諸世界・諸科学のような意味であるとも捉えることができ、いみじくもこの文章のタイトルにぴったりのものとなりました。(そういえば元ぶんじの先生で今は他の某都立高校に勤められている先生が翻訳した本も、「諸世界」という言葉を使っていましたね)
ここであげたのは私が見たひとつの像でしかないのです。
私にとっての「制作」像への手がかりは他にもありますが、それはまたいつかの機会に。良かったらnoteも書いてるので読んでみてください。取り留めもないことを長々と書いております。リンクやタイトルは載せません。
さて、そろそろこの話を締めていきましょう。今回お伝えしたかったことは「制作がどういったものなのか」ということです。しかしすでにお伝えしたとおり、制作とはふわふわとしたものだと私は考えています。
そこでここでは私にとっての「制作」を実務的な面とコンセプト的な面からお伝えすることで、読者の皆様が制作についての足がかりとして活用していただくことを試みました。普段は真っ暗な制作の像が、皆様の中にぼんやりとでも浮かび上がっていれば幸いです。
それでは最後に次回の公演の予告です。
第5回定期公演『FRAME』
2023年8月25日(金)〜27日(日)
@NPO現代座 現代座ホール
私はまたまた制作を一部担当しております。
そして冒頭にお伝えしたとおり、次回は無敵のカリスマ、しゅんがとても素敵な内容を精緻な文章でお届けいたします。乞うご期待。
それでは第5回定期公演でお待ちしております。ふわふわ。